イタリアの高校卒業試験「Esame di Maturità」

フィレンツェで暮らして驚いた、“自分の意見”を育てる教育

イタリアで子育てをしていて、日本とイタリアの教育の違いに驚くことがよくあります。

特に印象的なのが、イタリアの高校卒業試験
「Esame di Maturità(エザーメ・ディ・マトゥリタ)」

直訳すると「成熟試験」。

単なる学力試験ではなく、
「人間として成熟したか」を問われるような、とてもイタリアらしい試験です。

娘も現在、この試験に向けて毎日勉強していますが、日本の受験とはかなり違う部分があり、親としても興味深く感じています。


「暗記」ではなく、“考える力”を試される

イタリアの高校卒業試験では、ただ知識を覚えるだけでは不十分です。

例えば娘の高校では、

  • イタリア語
  • 英語
  • フランス語
  • 歴史
  • 哲学
  • 美術史
  • 経済

などを、それぞれ別々に学ぶだけではありません。

現在学んでいるテーマが「第二次世界大戦」の時代であれば、

  • 英語ではその時代のイギリス文学
  • フランス語ではその時代のフランスの文学
  • イタリア語では同時代の作家
  • 哲学では当時の思想
  • 美術史では戦争時代の芸術
  • その時の世界の経済状況

というように、すべてが“時代”でつながっています。

日本で育った私にとっては、この横断的な学び方がとても新鮮でした。

日本もそうだったのかもしれませんが、私の記憶では全てバラバラでした。


卒業試験は6時間の小論文

試験内容もかなりハードです。

まず、小論文試験が6時間。

さらに娘の学校では、経済・法律に関する筆記試験も6時間あります。

そして驚くのが口頭試験。


「自分はどう考えるのか」を求められる口頭試験

口頭試験では、単に知識を説明するだけではありません。

歴史・文学・哲学・ニュースなどを結びつけながら、
「自分はどう考えるのか」を話さなければいけません。

最近のニュースや社会問題について、自分の意見を求められることもあります。

つまり、

  • 知識を覚える
  • つなげる
  • 自分の考えを持つ
  • 人前で説明する

そこまで求められているのです。

イタリア人が大人になってから議論好き、そして、人を説得することが上手な人が多いと私が感じるのもこうした教育の影響が大きいのかもしれません。


フィレンツェという街と教育

Florence は、芸術と歴史の街。

街を歩けばルネサンスの建築があり、美術館には何百年も前の作品が並びます。

そんな環境の中で育つ子どもたちは、
「歴史・芸術・哲学」を日常の延長として学んでいるように感じます。

単なる受験勉強ではなく、
“文化の中で考える力を育てる教育”。

それがイタリアらしさなのかもしれません。


もちろん、厳しい面もあります

ただ、理想的なことばかりではありません。

イタリアの学校は先生によって採点がかなり厳しく、
数学や物理のように答えが決まっている教科で全ての回答が正解でも満点をもらえないことがあります。

これは、ちょっと理不尽。何故かと先生に聞いても、満点は特別な時ではないとあげられないなどと、曖昧な答えが返ってきます。

そして、厳しい先生のもとでは進級できず、留年する生徒も少なくありません。

実際、娘のクラスにも年上の生徒が2人いますし、同じクラスの子たちが毎年留年していくのを経験してきました。

毎日の勉強量も多く、見ていて本当に大変そうです。


それでも感じる、“学ぶ意味”の違い

日本の教育には日本の良さがあります。

一方で、イタリアの教育を見ていると、

「知識を覚えること」以上に、
“様々な分野をつなげること、自分の考えを持つこと”を大切にしているように感じます。

何が正解かを探すだけではなく、

  • なぜそう思うのか
  • 自分ならどう考えるのか
  • 異なる意見をどう受け止めるのか

そんなことを、日々の授業の中で学んでいるように見えます。


フィレンツェで暮らして感じること

海外で暮らしていると、
観光だけでは見えない、その国の価値観に触れる瞬間があります。

教育は、その国の文化や考え方が最も表れる場所のひとつ。

Florence で暮らしながら、
娘を通してイタリアの教育を見ていると、

「学ぶとは何か」
「成熟とは何か」

そんなことを、親の私自身も考えさせられます。